正しい意見とは何か。「アンチ」の「アンチ」もまた「アンチ」。
みなさんこんばんは。がーすーです。
さていきなりですが今回は、正しい意見とは何かについて考えたいと思います。
院生の界隈ではこういうテーマは酒のつまみによくなりますが、皆さんにとっては日常的にはあまり真剣に考えることはないのではないでしょうか。このブログをきっかけに少し真剣に考えてみて、コメント等をくれたら嬉しいです。
そもそも今回この話をしようと思ったのはですね、最近よくTwitter上などで現れる「アンチ」と呼ばれる存在が面白いなと思ったからです。「アンチ」の皆さんが面白いことをしているというよりは、「アンチ」のことをなぜ「アンチ」として否定できるのかという問いに面白みを感じました。それが今回正しい意見とは何かを考えるきっかけです。
まずは、正しい意見とは何かを考えるにあたり、前述の「アンチ」を例に挙げながら考えたいと思います。
Twitterを見ていると、インフルエンサーの意見や考え方を否定している投稿を目にしませんか?その投稿の多くは「あなたは間違っている」「おもしろくない」と否定します。
そして否定されたインフルエンサーはそういった人を自分のアイデアを否定する「アンチ」として名付け、敵対視もしくは無視します。「アンチ」発生の仕組みはこんな感じでしょう。
これについて皆さんはどう感じますか?
「アンチは人の意見を否定するなんてひどい!」と思うでしょうか。また、もしあなたが意見を否定されたら「私の意見を否定するなんて分かっていない」と思うでしょうか。
どちらにせよ、主となる意見を言う人とそれに対して否定をする人によってその関係は成り立ちます。
では、あなたもしくはインフルエンサーは、なぜ「アンチ」を「アンチ」であるという理由で拒絶できるのでしょうか。それはある種、今回のテーマでもある自身の意見が正しいと考えているからでしょうか。自身の意見と「アンチ」の意見を優劣の関係で見ていないでしょうか。つまりは、自身の意見よりも「アンチ」の意見の方が劣るから、
自身の意見は正しいと判断しているのでしょうか。
それは、私は間違っているのでは?と思います。
そもそもアンチはアンチテーゼからきていると予想できますが、あるテーゼ(命題)に対して反対(アンチ)であるということを意味します。つまりは、何かの意見に対して正確に言うと否定というよりも反対にある意見のことをアンチテーゼと呼びます。
あくまで反対の意見でありどちらかに優劣があることを示していません。対照的概念を指しています。
つまりは、どちらの意見もある意味、正しくもあり正しくないとも言えるのです。
意見にとって優劣の関係は無いと考えることができます。
と色々書いてはみましたが、今回はこの辺にしておきます。
この話題は、書きたいことが多すぎてまとまらないので、少しずつ小出しにして解決していって、最終的にまとめてみたいと思います。
究極の結論
正しい意見は存在しない.
正しいというのはどのように証明できるのでしょうか。